著者: 森一貴
鯖江駅の改札を抜けると、「めがねのまちさばえ」と書かれた台座と、ささやかなメガネのモニュメントが出迎えてくれる。
2015年10月1日のよく晴れた日。僕はそのモニュメントを見て、僕が住む街が“めがねのまち”であることを初めて知った。

福井県鯖江市。福井市の隣に位置する、人口約7万人の中規模都市だ。主要産業はメガネフレームの製造。鯖江市民の7人に1人がメガネ関係の仕事に携わっているという。

なんにもしなくていい。「ゆるい移住」という実験
僕が鯖江に訪れるきっかけになったのは、鯖江市が2015年に主催した体験移住プログラム「ゆるい移住」。
当時の僕は東京での仕事を9月に辞め、4月からとあるNPOで働くことが決まっていた。半年間。これだけの空白期間を経験するのは、人生で初めてだった。留学しようか、世界一周でもしようか……。考えていた矢先、目に飛び込んできたのが「ゆるい移住」だった。

用意されているのは3LDKが2部屋だけ、家具はない、そこに何人でも入居してよい、何もしなくてよい。これを市が主催で実施している。どう考えてもおかしい。だから、きっといい街なんだな、と僕は思った。
その直感は初日、市長・牧野百男さんの言葉を聞いて確信に変わった。いそいそと鯖江市役所に訪れた僕たちのまえで、百男さんはよく訛った福井弁で、こう僕たちに言った。
「体験移住事業はどうしても実績を求めてしまうけれど、私はゆるい移住が終わったとき、この街に誰も残っていなくてもいいと思っている。ここに、これだけの人が集まってくれた時点で、ゆるい移住は成功です」
「鯖江を思う存分、実験に使ってください」
鯖江市の南のはずれ。田んぼが見える、新しくも古くもない市営団地の一室がゆるい移住の舞台だった。

ゆるい移住の参加者は合計17名。元IT企業社長のニート、元パティシエのフリーランスライター、元プロ野球選手、東大卒の元コンサルタント……。
僕らはなにせお金がなかったから、頻繁に持ち寄り制の宅飲みを開いた。そうすれば、誰かがお酒や食べ物を持ってきてくれたからだ。毎日のように鍋を囲み、しこたまお酒を飲んでは、みんなでこたつに足を突っ込んだまま眠った。
働き方や住まいのこと、未来のこと、だらだらといろんなことを話したり、いろんなところに出かけたりした。


彼らとのゆるい移住生活を通じて、僕は「はたらく」ことの価値観がゆるやかに変わっていくのを感じていた。
僕は同居人と一緒に暮らしながらニートのように振る舞っていたけれど、実際には鯖江に来てからも毎日バイトをしていたし、春からの内定もあった。僕は何も手放していなかったけれど、同居人たちは、まぎれもなくニートだった。
僕が同居人と一緒にいて気づいたのは、「どこかに属して働くことって、別に唯一の正解じゃないんだ」ということ。そしてもうひとつは、「やりたいことがあるなら、自分でつくっちゃえばいいんだ」ということだった。気づかないうちに、それはたしかな実感として、僕のなかに染み込んでいた。
だからある冬の日、僕は内定を辞退した。
その晩、部屋で同居人のみんなと囲んだ鍋のことを、僕は忘れないだろう。人生で初めて、なんの肩書もない、“ただのニート”になった僕に、彼らは言った。
「乾杯!! こちら側へ、ようこそ!」
その後、ゆるい移住は「移住者6名」という、体験移住事業としては異例の実績を残した。ある人は北海道から両親を連れてきたし、ある人は福井の人と結婚した。僕はといえば、今は僕自身が「ゆるい移住」を開催する立場として、全国から移住者を受け入れている。
ものづくりの街、河和田
ゆるい移住の生活と並行して、僕はなにかしらの形で「まちづくり」に携わりたいと思っていた。そこで出会ったのが鯖江市河和田(かわだ)地区。
鯖江駅から東方向へ約10km。田んぼに囲まれたバイパスをまっすぐに抜けると、そこが河和田だ。歩いて10分ほどの圏内に、ぎゅっと越前漆器やメガネの工房が軒を連ねている。


鯖江を初めて訪れてから2週間後。僕は、河和田にあるデザイン事務所・TSUGIでバイトを始め、RENEWの準備を手伝うことになった。

RENEWは、普段出入りできない工房を開放し、工房見学やワークショップを通じて職人の想いや技術に触れる、年に一度だけの工房見学イベントだ。

僕がバイトを始めたのは、折しも第1回目のRENEWが開催される直前。
TSUGIのデザイナー・新山さんや寺田さんがデザインしたパンフレットやのぼりや垂れ幕が、次々に事務所に届いた。職人の永富さんは、自分の仕事が終わるとTSUGIにやってきて、目の前で次々に看板や什器をつくっていく。
事務所はばたばたと準備に追われていて、僕も右も左も分からないなか、看板づくりをしたり、書類を渡しに職人さんに会いにいったりと奔走した。街には、僕が立てたのぼりがはためいた。
準備は毎晩遅くまで続き、まるで学園祭みたいだ、と僕は思った。

2015年10月31日、RENEW開幕。
僕は朝から総合受付・うるしの里会館の前に立っていた。10時になった途端、普段は誰もいないうるしの里会館の、だだっ広い駐車場に、次々に車が入ってきた。僕はびっくりして、何枚も写真を撮ってみんなに送ったのを覚えている。

「ごはんはどこがオススメですか?」
「ここ行っとけ!って場所はどこですか?」
「子ども向けのワークショップはありますか?」

初めてのイベント。僕なりにパンフレットを配り、レンタサイクルを貸し、工房を巡って記録写真を撮り、オススメの工房を案内して……。
お昼ごはんを食べるのも忘れて駆け回っているうちに、あっという間に、初めてのRENEWは終わっていた。秋の日が暮れて、真っ暗闇のなかに、うるしの里会館のあかりだけがぽつんと残った。
僕はそれを見つめながら、なにか、すごいものに関わってしまったような気がしていた。そのとき何が起こっていたのか、実際のところ、僕にはあまり理解できていなかったのだけれど。
いま振り返れば、よく分かる。当時の僕は、新しく何かをつくろうなんて、思ったことすらなかった。そんな僕の隣で、誰かが、たしかにRENEWというものをつくっていた。
僕は「なにかをつくっても、よいのだ」ということを、このとき初めて知ったのだ。
初めてRENEWを開催してから、3年。RENEWは徐々に大きくなり、昨年度は3日間で3万8000人の人が訪れた。僕はRENEW事務局長として、RENEWに深く関わっている。


この3年の間に、新たに10もの工房やショップが開設された。人通りの少ないこの街に、徐々に遊びに来てくれる人が増えている。
大事な人たちも増えた。例えば、ろくろ舎の酒井義夫さん。

ろくろ舎は、漆器に漆を塗る前の「木地」をつくる工房だ。代表の義夫さんは北海道出身。いつも泰然とした顔でコーヒーを淹れてくれる。

ろくろ舎のすぐそばには、河和田に8代続く漆器の塗師(ぬし)の工房・漆琳堂(しつりんどう)がある。工房併設ショップでは、普段の食事にも使いやすい漆塗りのお椀を販売している。友人を連れていくたび、塗師の内田さんが、漆器の歴史や模様にまつわるエピソードを教えてくれる。

そして、TSUGI。自分たちをインタウンデザイナーと呼び、漆器やメガネをはじめとした地場産業のブランディングを行っている。

TSUGIはスキルを持たない僕に、なにもかもを任せてくれた。初めてイラレやフォトショに触れた。ロゴやDMをデザインした。初めて僕がつくったWEBサイトが世に出た。一緒に飲んだり、怒られたり、徹夜でつくりこんだプレゼンで負けたりした。数えきれない挑戦をさせてもらいながら、いつしか、ここは僕の大事な場所になった。
ある日ふと、「RENEWやるのって、大変じゃないですか?」と新山さんに投げかけてみたことがある。新山さんは、そりゃめちゃめちゃ赤字だけどね、と前置きして、笑って言った。
「それでも、僕らは『創造産地をつくる』がビジョンだから。お金が一切もらえなくても、僕らはRENEWを、一番大事な仕事だと思ってやってるよ」
そんな河和田の「つくる」人たちに勇気づけられて、僕もいつの間にか、自然と一歩目を踏み出していた。
河和田の人たちは漆器がつくれる。デザインができる。イベントも、お店も、自分たちで当たり前のようにつくり続けているじゃないか。それなら、僕にはモノはつくれないけど、サービスや仕組みはつくれるかもしれない。
こうして僕はハルキャンパスという塾を始め、ゆるい移住を受け継ぎ、生き方見本市HOKURIKUを打ち上げた。今の僕がいるのは、この街のおかげだ。
いつまでも、こころみつづけられる街
2019年4月21日。河和田に新名所が生まれた。名前は「TOURISTORE(ツーリストア)」。TSUGIが手がける、小さな複合施設だ。

河和田、鯖江、あるいは福井県のものづくり産地のハブになりたいという願いがこめられている。僕も資金調達などで携わった。
TOURISTOREは、5つの機能を持つ。

1つ目は、“福井のよいもの”を紹介する「SAVA!STORE」。産地に根ざした、“職人の顔が見える”セレクトショップだ。

2つ目は、角物漆器の塗りを手がける錦古里(きんこり)漆器店の工房。塗りを見学できるほか、ワークショップを楽しめる。
他にも、民間で運営する産地の案内所「Crafts Invitation」と漆塗りのレンタサイクル「URUSHIBIKE by tokyobike」があり、そこを見通すように、TSUGIのオフィスが隣接している。
先日、TOURISTOREのレセプションパーティが開催され、たくさんの人が集った。なんだか、僕がこの街で積み重ねてきた人間関係を思い返すようだった。

来場者も帰り、ゆっくりとパーティの片付けをしているとき、錦古里さんが近づいてきて、笑顔でこう言った。
「この歳になってこんなに楽しいことがあるなんて、夢にも思わなかったよ。君たちのおかげだ。ほんとうに、ありがとう」

70歳近いおじいちゃんに、そんな言葉をかけてもらえることを、幸せに、そしてちょっぴり誇りに思った。
錦古里さんは後継者のあてがなく、これまで自分たちの代で工房をたたもうと思っていたという。それが今、「いっちょやったるか」と思えるような空気が、この街に生まれつつあるのだ。彼は、夢ができた、と言った。後継者を見つけたいのだ、と。
この街は僕がおじいちゃんになっても、こうしてずっとずっと変わり続けていけるのだろう、こうしてずっとずっと面白がり続けていけるのだろう。錦古里さんのまるで少年のような笑顔を思い返して、あとで少しだけ、僕は泣いた。
僕自身だって、まだまだ、人生の実験の道半ばだ。それでも大丈夫だよ、面白がってみようよ、なんでもやってみようよ。この街はそう言ってくれている。
ここは、こころみつづける街、鯖江市。
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編集:Huuuu inc.
