30年前に描いた、街の将来像とは? 実現のために挑戦し続けた商店街の軌跡/秩父「みやのかわ商店街」・島田憲一さん、小泉貴之さん【商店街の住人たち】

インタビューと文章: 小野洋平(やじろべえ) 写真:小野 奈那子 

長年、そこに住む人々の暮らしを支えてきた商店街。そんな商店街に店を構える人たちにもまた、それぞれの暮らしや人生がある。
街の移り変わりを眺めてきた商店街の長老。さびれてしまった商店街に活気を呼び戻すべく奮闘する若手。違う土地からやってきて、商店街に新しい風を吹かせる夫婦。
商店街で生きる一人ひとりに、それぞれのドラマがあるはず。本連載では、“商店街の住人”の暮らしや人生に密着するとともに、街への想いを紐解いていく。

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秩父鉄道・秩父駅前の大通りを中心に120店舗以上で形成される「みやのかわ商店街」。「できることは何でも挑戦する」をモットーに、数十年にわたってユニークな試みを次々に実行してきた。その1つが「ナイトバザール」だ。元々は商店街への集客を目的にスタートしたそうだが、回数を重ねるごとに、商店街だけでなく街の活性化にもつながることに気づいたそう。その結果、みやのかわ商店街は「元気な商店街」の成功モデルとして、全国から注目を集めることとなる。

「ナイトバザール」はいかにして生まれたのか。イベントを通して、商店街と地域はどのように関わってきたのか。ナイトバザールの立役者であり、元みやのかわ商店街理事長・島田憲一さん(70)と、現理事長の小泉貴之さん(53)を訪ねた。

「できないこと」を書かなかったら夢は描けない

―― お二人は「みやのかわ商店街」で生まれ育ったとのことですが、子ども時代の思い出について教えてください。

島田憲一さん(以下、島田):商店街でわんぱくに遊んでいました。同じく商店街に住む同級生とベーゴマにめんこ、ビー玉、駒、けん玉。それから近くの秩父神社の木なんて、ほとんど登ったんじゃないかな(笑)。

小泉貴之さん(以下、小泉):私も今ほどゲームはなかったので、商店街で遊ぶことが多かったです。当時は大型スーパーもなく、商店街が最もにぎやかな遊び場という印象でした。

仕出専門店「こいずみ」の店主兼みやのかわ商店街理事長の小泉さん(左)と「清水金物」店主兼元みやのかわ商店街理事長・島田憲一さん(右)

―― お店を継ぐことは、いつ決めましたか?

島田:私の場合、大学のころに継ぐことを決めました。やはり、昔から住み続けている秩父が好きでしたからね。

小泉:私はいったん東京で就職をしたのですが、父が倒れたことをきっかけに家業を継ぐことにしました。ただ、週末になると秩父に帰ってきていたので、それほど苦ではなかったです。

―― 現在でも続く商店街名物「ナイトバザール」は1987年に第1回目が開催されました。立ち上げメンバーである島田さんに、きっかけをお伺いしたいです。

島田:1986年に埼玉県商工部の指導のもと、商店街の若手を育成する政策がありました。みやのかわ商店街からは24名が集められ、平均年齢33歳の「宮側町青年部近代化研究会」が結成されたんです。そして月に一度、街の活性化を目指し、勉強会が行われるようになりました。

現在のみやのかわ商店街。左の建物は明治時代初期に建築された商人宿「秩父館」を商店街振興組合が借り受け、地域の交流・観光拠点「ほっとすぽっと秩父館」として活用している

―― そこに島田さんも参加されたと?

島田:そうです。ただ、勉強会の時間帯は平日の昼間。この時間帯って働き盛りの若手からしたら、かなり忙しい時間なんですよ。だから、半年もしないうちに参加者は一桁になり、1年後には1人か2人しか出席しなくなりました。

―― 失礼ながら……ひどい出席率ですね。

島田:県からすれば「なんちゅう商店街を指定してしまったんだろう」と頭を抱えたことでしょう(笑)。そんななか、勉強会の期限が切れる半年前に商店街の仲間と飲みながら話をしたんです。「このまま、勉強会を終わりにしていいのだろうか」、「勉強会の結果だけでもいいから出さないか」と。そして、それぞれが描く、街の将来像について話し合いました。

―― どんな意見が出ましたか?

島田:A君は「レトロな街並みをつくろう」。B君は「リゾート地のような街をつくろう」。C君は「自然に寄り添った商店街をつくろう」。と、見事に意見はバラバラでした。もちろん、思い描く将来像が違うのは当然です。ただ、これからの商店街を担っていく我々の世代として、目指す方向性を統一する必要があると思いました。そこで私が提案したのが「将来構想づくり」です。

―― それはどんなものだったのでしょうか?

島田:各自が頭に描く街の具体的な構想をすり合わせ、理想的な商店街をつくっていくものです。例えば、「すべての通りに名前を付けよう」、「ミューズパークからモノレールを繋ごう」、「商店街の歩道と店舗の床を一体化しよう」など、あらゆる案が飛び交いました。周囲からは「できるわけがない」なんて酷評されることもありましたが、私からすれば「できないことを書かなかったら夢は描けない」と思っていたので、どんな意見も尊重しました。そして、半年をかけ30年後を想定した将来構想を図面や模型にまとめたんです。

島田:そしたら今度は「計画ばかりではしょうがない。汗をかいて行動していこう」という意見が出てきました。そこで、将来構想づくりと並行してイベントもやっていくことにしたんです。そのときに生まれたイベントこそ「ナイトバザール」です。

―― なるほど。朝市ではなく、夜にしたのは地域の伝統的なお祭り「秩父の夜祭」にも関連しているのでしょうか?

島田:じつは関係ありません。最初は「朝市」という案も出ましたが、賛同が少なかったんですよ。というのも、メンバーは30歳前後。夜中まで飲むことが多いため、いかんせん朝が弱い(笑)。「自分たちが一番元気な時間にイベントをやろう」ということで夜にしたんです。

イベントを長年続ける秘訣

―― ナイトバザールに何か目的はあったのでしょうか?

島田:当初の目的は商店街のお店を知ってもらうこと。そのため、物を売ることよりも気軽に来てもらうための工夫を考えました。ちなみに、このときに生まれたキャッチフレーズが「遊びにおいでよ」。我々の目指す将来像にピッタリでした。このキャッチフレーズは今も使われています。

―― 買い物ではなく、遊びの感覚で来て欲しいと?

島田:はい。ただ、1回目に関しては「一生に一度でいいから銀座や新宿の歩行者天国のような、たくさんの人がいるなかで商売がしたい」という夢を語ったメンバーがいました。なので、徹底的に人を集めることに注力しましたね。

過去のナイトバザールの様子。最初は月1回、途中から偶数月のみ開催。2021年4月17日時点で293回を数える(画像提供:みやのかわ商店街振興組合)

島田:企画したのは2つ。1つ目はナイトにちなみ、710円以上お買い上げの方へ500円分のサービス券を配布すること。2つ目は無料で回せる福引。参加方法は、商店街のお店3軒分のハンコを集めるスタンプラリーですね。これにより、お店を訪れるきっかけになると考えました。

―― 待ちに待った第1回目、反響はいかがでしたか?

島田:まさかの台風とぶつかり、ドシャ降りでした。ところが夕方なると雨が止み、19時を回ったころには状況は一変。福引には行列ができ、歩道に溢れるほどの住民でにぎわっていました。まさかの1回目にして、夢が実現してしまったわけです。おそらく、この経験が我々の意識を変えるきっかけだったと思いますよ。

―― それはすごいですね! となると、2回目以降もますます力が入った?

島田:1回目はスタンプラリーで盛り上げ、2回目は夜馬車を用意し、3回目は氷上我慢大会などを企画しました。ちなみに、氷上我慢大会に参加した半数の小学生は翌々日の学校を休んでしまいました。これは猛省でしたね(笑)。なお、福引以外の企画は毎回、手を変え品を変え、同じことは二度とやらないようにしています。

―― 評判が良いなら、繰り返しても良さそうですが。

島田:同じ企画をしてしまうと、二回目に来てくれた人はガッカリしてしまいますよね。「今月はなにをやるんだろう」という期待を膨らませ続けることも、継続的に人を呼び込むためには大事なことなんです。

―― とはいえ、毎回新しい企画を変えるのは大変なんじゃ……?

島田:大変と思ったことはありません。なぜなら、私たちは街をフィールドに遊んでいるようなもの。これまでに企画した遊びの数は800を超えるでしょう。空き缶一つとっても投げる、転がす、潰す、蹴飛ばす、積み上げる、バケツに放り込む。これだけでも全く違う遊びになるじゃないですか? なので、アイデアに困ったことはないですね。

小泉:「逆転の発想」も使えますよ。例えば、夏におでんを食べさせ、冬にスイカ割りをすれば、話題になります。あとは、その時々のテーマを利用するのも有効です。今ならば、オリンピック種目をアレンジするなんて面白そうですよね。

―― 長年やられているだけあって、企画づくりのノウハウが豊富なんですね。他に、商店街でのイベントを持続させるコツがあれば教えてください。

小泉:雪だろうが、台風だろうが、なるべく開催することが大事だと思います。小雨だからと思って足を運んだのに、中止だったらガッカリしませんか? 今日だって、コロナ禍ですし、雨は降っているし、秩父市市長選の最終日で人はかなり少ないでしょう。そんな状況でも必ずやっていることに意味があると思います。

島田:経験上、3つあると思います。1つ目は「自分たちが楽しむこと」。自分たちが楽しければ、来てもらう方にも楽しさが伝わります。2つ目は「お金をかけすぎないこと」。もちろん、なかには失敗した企画もあります。しかし、お金をあまり使っていなければ後悔もしないんですよ。

島田:そして3つ目は「挑戦すること」。誰かが「これをやろう」と言ったら、反対せずにやってみる。ナイトバザールは「自分で発想したことがカタチになる」という楽しさがあります。だから、誰かの挑戦したい気持ちを大事にしているんです。失敗してもいいんですよ。ナイトバザールは毎月やっているので、失敗しても来月にリベンジできる。継続するからこそ、失敗も怖くなくなるんです。

商店街の域を超え、街づくりの担い手に

―― その後、みやのかわ商店街では「出張商店街」や「ボランティアバンクおたすけ隊」といった取り組みもスタートさせました。これはどういったものでしょうか?

島田:「出張商店街」のはじまりは、1人の障害者との出会いから生まれた買い物代行でした。その取り組み自体は商店街の仲間にも賛同され、自分でも良いサービスだと思っていました。ただ、高齢者や障害者の施設にチラシを配っている時、ヘルパーさんにこう言われたんです。「あなたは間違ってます。あなたは、ただ便利なことをしようとしているだけ。ここにいる方々が本当にしたいことは買い物なんです」と。

例えば、のり弁当を買うつもりでコンビニに行っても、つい唐揚げ弁当を買ってしまったり、季節限定のお弁当を買うことってあるじゃないですか? ただの代行では、そんな買い物の醍醐味を奪ってしまうと気づかされたんです。

それならば「みやのかわ商店街」ごと持っていけばいいと思いつきました。現在では、3日に1回、各店舗の商品を持ち寄り、高齢者や障害者の施設だけでなく、山間部の地域に出張し、買い物の場を提供しています。

買い手も売り手も両方が楽しいという意味を込め、出張商店街は「楽楽屋」と名付けられた(画像提供:みやのかわ商店街振興組合)

島田:「ボランティアバンクおたすけ隊」は元気な高齢者が、困っている高齢者を手助けするサービスです。秩父に暮らす約3万人の高齢者のうち、約5000人が介護認定を受けています。裏を返せば、約2万5000人もの元気な高齢者がいることになるんです。これが実現したら、秩父は日本一元気な街になる。そう思い、2007年にスタートしました。

小泉:利用者には1時間800円でチケットを購入できます。そして、ボランティアスタッフには秩父市共通商品券「和同開珎」を、1時間あたり500円相当お渡ししています。ちなみに「ボランティアバンクおたすけ隊」は前埼玉県知事の上田清司氏に絶賛され、県内中に同様の取り組みが広がりました。

現在では 150 人がボランティアとして登録。派遣数も年々右肩上がりだという (画像提供:みやのかわ商店街振興組合)

秩父の好きなスポット「武甲山」、「浦山」

―― もはや商店街の域を超え、街づくりの担い手になっていますね。こうも次々と新しい取り組みを打ち出せるのはなぜですか?

島田:「みやのかわ商店街」に加盟している商店は現在120店舗ほどです。しかし、どの取り組みも商店街の全員で行っているわけではありません。この商店街の良さは、やりたい人だけでやる。やりたくない人は、やらなくていいということ。

―― しかし、協力店は多い方が物事もスムーズに進むような気がするのですが?

島田:いえ、その逆です。1人でも2人でも、面白いと賛同してくれた人とだけ進めた方がスムーズなんです。そこに否定的な人がいると、絶えず足を引っ張られますから。なので、無理矢理に加入させないことは鉄則です。最初は疑っていても、上手くいけば必ず人は増えてきますから。

よく「いい加減」と「良い加減」って言うのですが、「みやのかわ商店街」の連中は丁度いいお付き合いをしてくれる方が多いですね(笑)。基本的に否定はせず、どんなこともやってみてから考えようって言ってくれます。新しい発想にも前向きに捉えてくれる。これは、みやのかわ商店街の好きなところですね。

―― 小泉さんも同じ意見でしょうか?

小泉:そうですね。商店街を手伝うようになったとき、上から押さえられることなく、何でもチャレンジさせてくれたのは嬉しかったですね。例えば、市制50周年の際、夜祭の山車をつくった当時の姿で引こうと提案しました。つまり、商店街の電気を全て消し、提灯の明かりだけで動かそうと。コンビニのオーナーさんからは「明かりの消し方がわからない」と言われたんですが、商店街の電気屋に頼んで対応してもらいましたよ。こういった無茶なこともできるのが、みやのかわ商店街の良さだと思います。

―― それは見てみたかったです。では、街の好きな部分も教えてください。

島田:何と言っても祭りですね。秩父地方には400の祭りがあると言われています。実際に自分でイベントをやってみるとわかるのですが、とても面倒なことばかりなんですよ。何か月も前から準備するし、上下関係は激しいし、なんでこんなに苦労してまでお祭りやらなくちゃいけないんだって(笑)。でも、無事に終わると不思議と「来年もやりたいな」と思うんです。体をつかい、気もつかうけど、お祭りを通して自分が街の歴史や文化に繋がっていくし、溶け込んでいくような感覚があるんですよ。

―― 移住された方もお祭りがあると、馴染みやすくなるんですか?

島田:祭りというのは守っていくもんじゃないですか? だから普通は外からは参加しづらいかもしれませんが、秩父は平気で中に入れますからね。実際、「俺の友達なんだけど、一緒にやらせてもらっていいですか?」なんて言われることもあって、その度に、どうぞどうぞと迎え入れる。そうすると、来年もやらせてくださいって何度も来てくれるんですよ。祭りを経験することによって、秩父の面白さ、人の良さを知ってリピーターになって行くんだと思います。

―― なるほど。小泉さんは秩父のどんなところが好きですか?

小泉:私は安心できるところが好きです。昔からの顔なじみの人やお店、景色を見ると居心地が良いなと感じます。だから月曜日から土曜日まで都内で仕事をしていたときも、休日は2時間かけて地元に帰ってきていました。帰ってくるだけで落ち着けるし、身も心も安らぐ。この雰囲気は、秩父ならでのは良さだと思います。

―― お二人が個人的に好きなスポットはありますか?

小泉:私は浦山です。もともと材木屋だったので、小さいころは親によく連れて行ってもらったんです。そこで、鮎を取って食べさせてくれたり、山菜を採らせてくれたり。時には、親父にロープで縛り付けられて、岩をカニのように進んで岩茸を採っていましたよ。そんな思い出が詰まった場所ですね。現在はダムができてしまい寂しい気持ちもありますが、息子が幼いころは山菜を採りに行きましたね。

島田:秩父神社と武甲山ですね。神社があると、必ず何かしらの行事もあります。それが先ほど言ったような人と人とのつながりつくってくれます。それぞれの地域を守り、人と人を結びつけてきた、その歴史と伝統が好きですね。

また、武甲山は、秩父を守り続けてきたシンボルです。秩父は古くから織物が盛んで、その産業が潤ったおかげで街が発展し、伝統が守られてきました。その、織物産業が衰退した後、セメントが街の主要産業になり、原料の石灰岩を採掘するために武甲山がどんどん削られていったんです。外からは「環境破壊だ」「シンボルを削っていいのか」という意見もありますが、我々からすれば秩父地域の経済を支えてくれているのを知っているわけです。どれだけ削られても、それが秩父の伝統を支えている。長く秩父を見守ってきた山には、私だけでなく住民みんなが尊敬の念を持ち続けています。

30年前の「構想」が「現実」になった

―― みやのかわ商店街には空き店舗がなく、また後継者不足の問題もないそうですね。なぜでしょうか?

小泉:ナイトバザールが要因の1つだと思います。このイベントが盛り上がっていると、周りから元気に見られるんです。我々は決してイベントで食べているわけではありません。イベントはあくまで商店街全体の活気を保つためのもの。その結果、みんなが出店したくなるような商店街になればいいと考えているんです。私自身も、そんな“憧れられる商店街”で商売できることを誇りに思っています。

島田:我々はナイトバザールをはじめ、さまざまなイベントを通して街と関わり、前向きに仕事をしてきました。もしかしたら、そんなふうに楽しみながら仕事をする姿を次世代が見てくれていて、結果的に後継者対策になっていたのかもしれません。さらに言えば、お祭りも影響していると思います。秩父出身者はお祭りが大好きなんですよ。そのため、自然とUターンし、お店を継ぐ人が多いんです。

第1回目からナイトバザールを支えてきた福引

秩父の祭りを支えてきた屋台囃子には、雨でも見物人が

このブースでは「いちご祭り」を開催。いちご大福や、いちごどら焼き、いちごロールケーキなどを販売していた

秩父を代表するウィスキー「イチローズモルト」や地元のワインが飲める出店も(2021年4月撮影)

―― 今はネット通販や大型店など競合も多いですが、お二人は「商店街の価値」をどこに感じられていますか?

島田:個店です。商店街の人間は、それぞれがそれぞれのお店の得意分野で勝負しています。現に、各店でリピーターがいるから今も続いているわけじゃないですか? そういった専門店がいくつもあることが、商店街全体の魅力につながっていくと思います。

小泉:また、良い品物がそろっているところも商店街の魅力ですね。大型店よりも少し値段は高いかもしれませんが、商品力こそが専門店ならではの強みであり価値ですから。

―― 最後に、これからの商店街の未来を教えてください。

小泉:昔の秩父は産業が強いイメージでした。しかし、私が観光に携わるタイミングで、芝桜やアニメの舞台など、観光資源がメディアで取り上げられるようになりました。そのとき、秩父の人は産業から観光へ意識改革をしていかないといけないなと思ったんです。

以前は、うちは観光客相手の商売じゃない、お祭りも観光客に見せるものじゃないなんて、どこか威張っているようなところもありました。しかし、今はそういった雰囲気もなくなり、秩父は「観光に強い街」になることができた。これをさらに強固ものにしていくために、商店街としても情報を共有し、観光客の方にも喜ばれるお店づくりにつなげていきたいと思います。

同時に、全てのお店が末長く続けられるようサポートしていきたいですね。自営業だからといって1人で考えるのではなく、商店街が1つの会社のようなイメージで支え合えたらいいなと思います。

島田:自分が商店街の未来にどこまで携われるかわからないので、あまり深くは考えていません(笑)。ただ、結局は目の前の問題を解決していくこと、そして、その取り組みを継続していくことが未来につながるんだと思います。ナイトバザールがいい例ですよね。回数を重ねるごとに、商店街だけでなく、街の活性化にもつながっていきましたから。

―― それは、たくさんの人が集まるようになったということですか?

島田:それだけでなく、イベントをきっかけに街づくりのための資金を得られるようになりました。ナイトバザールを始めて5年くらい経ったころから、日本全国の商店街関係者や国の商業課、街づくり団体の方々が視察にやってきました。その際、行政側から「(取り組みを発展させるために)必要な資金があれば、公的につくります」と言ってくれたんですよ。

―― 集客のためのイベントが、思わぬ成果につながったと。

島田:そこで初めて気が付いたんです。このままナイトバザールを続けていけば、私たちの描いた「将来構想」に近づけるのではないかと。つまり、「活性化の手段」であるソフト事業の積み重ねが「活性化の目的」である将来構想のハード事業につながってきたんです。

―― 具体的に実現したものはありますか?

島田:例えば、ガス灯風の街路灯をはじめ、歩道の整備、電線の地中化、統一看板、シャッターの美装化などは、将来構想づくりで描いていた夢です。それが今では現実のものとなっています。

ガス灯風の街路灯。秩父神社のシンボルである梟を型どっている

銀杏の葉をイメージした車止め

島田:秩父の特徴が感じられ、歩いていて楽しい。今では、そういった仕掛けが街に溢れています。

ただし、街づくりに終わりはありません。いつまで続けられるかはわかりませんが、「将来構想」はまだ道半ば。

今後は「ストリートファニチャーの設置」、「街角ギャラリー彫刻の設置」など、文化芸術面の充実を図りたいと思っています。そして、住む人にも観光で来る人にも“みやのかわ商店街に行けば、楽しいことがあるかもしれない”そう思ってほしいです。なので、最後にこれを言わせてください。

ぜひ、遊びにおいでよ。

みやのかわ商店街振興組合
www.miyanokawa.com

著者: 小野洋平(やじろべえ)

 小野洋平(やじろべえ)

1991年生まれ。編集プロダクション「やじろべえ」所属。服飾大学を出るも服がつくれず、ライター・編集者を志す。自身のサイト、小野便利屋も運営。Twitter:@onoberkon 50歳までにしたい100のコト

編集:榎並 紀行(やじろべえ)

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